生きる、逮捕されても

まさかの「逮捕」で人生終わりかけましたが、僕はこれからも生きていかなければなりません。逮捕された経験ならではの思いを発信していきます。

「逮捕」「犯罪」をテーマにブログを書くことの是非

「逮捕」をテーマとしたブログが長く続くのはおかしい

ていうか精神衛生上よくないと思います。逮捕・勾留されて釈放された直後は気持ちを整理するという意味で、逮捕や犯罪をテーマとしたブログを書くことは精神衛生上有用かもしれませんが、このテーマで長い間ブログを書き続けていると、逮捕された自分や、自分が逮捕されたという現実に執着する原因にもなり兼ねないと思うのです。

 

本来であれば、逮捕・勾留されたことなんて忘れて、普通の人となんら変わりない生活を送った方が健全でしょう。そもそも、処分保留で不起訴になったり、略式命令で終わったことなどを考えれば、司法処理上はこれ以上、何か追及されることはないわけですから、被害者に配意するのは当然として、幸せな生活を送る権利は加害者の側にもあるはずです。もっとも、加害者の僕がこれを言うのは少し違うとも思いますが……。

 

『からくりサーカス』で勝くんがいいこと言っています。

f:id:hatakegori:20160628231807j:plain

多分、誰にしても「昔」何かやらかしてしまったことはあるのだと思います。僕の場合は「逮捕・勾留」ということでそれが派手に見えますが、「昔」に何かしらの罪を背負っている側面というのは誰にでもあるはずです。

その「昔の罪過というものがある人は幸せになってはいけません」なんていう道徳律があったら、きっとこの世は大変なことになります。きっと、殆どの人が不幸になります。

 

僕はこのブログで自分が幸せになることを目指した方がいいと思う

それが自分のためにも、同じように何らかの罪過を抱える人のためにもいいのだと思います。僕がここで過去に何か罪を犯した人は幸せになってはいけない、と自虐的に発信することで誰かが幸せになるでしょうか?きっとそうではないと思います。過去に失敗はしたけど、それをバネにして、人の役に立つ人間になれたということを証明するような方向性に持って行った方が、きっと世のため人のためになると思います。

自分の罪過に敏感になって、執着してしまう気持ちはわかります……というか、自分はそういうタイプの人間の典型なので、そこから脱して、逆にそういう風になりがちな人を助ける側に回った方が健全な生き方ができるような気がします。

どうやってブログを作っていくか、これは考えどころですね。

 

高岡市に物申す!

ブログを始めたきっかけは移住でした

このブログ、すっかり逮捕や留置場のネタがメインになってますが、始めたきっかけは九州地方への「移住」を考えてのことでした。で、やっぱり逮捕されて思うのが「新聞で見て事件を知った」という人が想像以上に多いこと。きっと職場に戻ってもそういう目で見られるのかと思うと、自業自得とは言え気が滅入ります。

そう考えると、「いっそ、自分のこと誰も知らない土地に移住して人生やり直すのもありかな」と本来のブログの趣旨に立ち返るのもいいかなー、とも思えてくるわけです。

 

GW中の旅行でいい所を見つけた

で、いい所があったんですよ。旅行して「ここなら住んでもいい」と思う県がありました。ズバリ言うと、富山県です。九州関係ないじゃないか、ってツッコミはなしでお願いします(笑)

富山県は三大都市圏からの距離も近いし、何と言っても海も山もあって自然が綺麗で食べ物が美味しい、そして街も県全体もコンパクトにまとまっていて、五箇山なんかの世界遺産もあったりする。それでいながら観光地としても金沢なんかに比べるとまだまだマイナーで、移住先としてもそんなにメジャーにはなっていない。

自分にとって移住というのは、あくまでも自分も一緒になって地域を盛り上げるためにするものであるので、移住先としては盛り上がるポテンシャルはあるけど、まだ盛り上がってないって地域が一番おいしいわけです。

そんな僕にとって富山県は移住先として十分候補になり得ます。

 

そこで出会った高岡市というまち

f:id:hatakegori:20160628205102j:plain

絶景雨晴海岸を有し(写真は5月に僕が撮りました)、北陸新幹線の新高岡駅付近はまだ開発の余地がある。また、歴史的な建造物や国宝の瑞龍寺なんかもあったりで街には趣がある。そして、旅行で出会った人たちは皆温かくて、なんというか決して発展した街ではないのだけれども、街全体から「皆でこの街を盛り上げていこう」って感じが伝わってくるとてもいいところだったんです。ここで一緒に自分も街を盛り上げるのも悪くないなーって思って高岡市のHPを見に行ったんですが、開いてみてビックリ!

www.city.takaoka.toyama.jp

「移住・定住対策の充実にむけて専用相談ダイヤルを設置しました」

え、これだけ・・・??

なんというかとても意外でした。あれだけ地元の人が街盛り上げるのに頑張ってるっていうのに、肝心の自治体からまったく人を呼び寄せる気を感じないという悲しさ。あれだけポテンシャルある地域だったら、空き家のこととか仕事のこととか、移住のメリットとか、もっと積極的に情報乗っけてもいいと思うのは僕だけでしょうか。

 

もっと頑張ってくださいよ、高岡市さん!
悪口を言ってるわけではなくて、あくまでもエールです。今度は冬に、寒ブリが美味しくて雨晴海岸が一番綺麗に見える時期に行こうと思っていますから、その時までに移住の情報充実させておいてくださいよ(笑)。

 

 

留置所の食事について

留置所の食事は?

f:id:hatakegori:20160704182052j:plain

先日の記事にも書いたように、留置所は警察の管轄なので、受刑者が自ら調理を行う拘置所や刑務所と違って、外部の業者が作ってくれるところが普通なようです。自分のところは、朝、昼、晩ともに弁当タイプの食事でした(場所によっては、昼食はパンだだ、というところもあるようです)。そして、これはどこの留置所でも共通のようですが、食事はわざわざ鉄格子を開けて入れてくれるわけではなくて、足元にある、頭が入らないくらいの小さな扉があって、そこから入れられてくる、というわけです。被疑者にも基本的人権が認められているとは言え、なんだか動物扱いをされているようであまり気分のいいものでありませんでした。

 

で、この弁当タイプの食事、外部の業者が作ってくれるから美味しいかというと決してそんなことはなくて、味は全体的に薄味でソースと醤油で無理矢理バランスを取っている感じ、量に関して言えばおかずは少なくて、ご飯の量を増やすことで何とか帳尻を合わせているような感じです。

なんというか、わざと不味く作ってあるような感じ(朝食によく出てくるオムレツとかどうやったらあんな不味くなるのか不思議で仕方ありませんでした)で、ハッキリ言って全然美味しくはないのですが、食べること以外に娯楽がないので、段々このお美味しくない食事すら楽しみに思えてくるから不思議なものです。

僕が入っていた留置所では、夕食には味噌汁がつくというのが特徴的なところでしたが、おかずが貧弱な分、たかが味噌汁と言えどありがたかったものです。

 

臭い飯ってのはホント?

刑務所での食事を「臭い飯」と形容することが多いようですが、留置所に関して言えば、その形容はあまり当てはまらない感じがします。というのも、刑務所のように麦飯を一定の割合(3割?)使っているわけでもありませんでしたし、特段ちょっと冷えてるくらいでそんなに極端に不味いものではありませんでした。もしかすると、自分のいた留置所はちょっと恵まれていたのかもしれましれません。もっとも、留置所の房にはトイレがあり、そこが完全に密閉されていないことから、飯が臭くなる、という説もあるようで、そういう観点で言えば、普通のご飯より飯は臭かったかもしれません。いずれにしても、トイレの横で食べるご飯は美味しくないですね。

 

食事代について

全て税金で賄われております。大体一食あたり300円~400円程度の予算で作られているということで、カロリーについても白米で帳尻を合わせているとは言え、一日2000kcalは確保されているようです。なので、留置所にいて普通にご飯食べていたら、極端に痩せるようなことはまずありません。普段からよっぽど食べていた人なら話は別ですが。

 

お好みのメニューが頼める「自弁」

留置所には「自弁」という制度があって、朝食、昼食、夕食にそれぞれ特定の仕出し屋からオリジナルのメニューを注文することができたりします。少し割高ですが、コーヒー牛乳や野菜ジュース、ミックスジュース(確かそれぞれ130円)、他にはおかずとしてゆで卵、カツ丼、焼き肉、ハムエッグ、など色々ありました。また、食事以外の時間(昼食後~夕食前)までの時間にパンやお菓子を食べられたりもします。食べれる曜日は水曜日と日曜日と限られていましたが、こういった自弁の制度に関しては拘置所や刑務所より優遇されていたと思います。

 

だからありがたい現金の差し入れ

hatakegori.hatenablog.com

過去記事でも書きましたが、自弁がある程度自由にできるようになるという意味で、やっぱり現金はあると嬉しいです。自分は自由時間を勉強時間に充てたりしていましたが、チョコレートなんかがあると随分捗ったものです。

   

元クリスチャンだった僕が逮捕されて感じる葛藤について

昔は結構真面目なクリスチャンでした

僕はもともと繊細で傷つきやすい性格をしていることもあるんですが、聖書やキリスト教についてある期間一定程度本気になって勉強した時期がある経緯なんかもあって、「罪」を犯すということに対して独特の感性のようなものを持っていたりします。

他人が罪に思わないことまで罪に感じてしまうような、罪に対する敏感さを持っているとでも言うべきでしょうか。

その一方で、聖書の影響で「他人を赦す」ということに対しても、大衆に乗じて他人を安易に裁きがちな日本人の中ではかなり強く意識して生きているということも、加えておきます。

 

 

聖書には「赦し」があるから救いも更生も成り立ちます

聖書ってのはちょっと読んでみたり学んでみたりするととわかると思うのですが、あれも罪だ、これも罪だと言って、やたら有罪判決をしてくるんです。聖書読んでいると自分がやたら悪いことである人間に思えてきます。

ですが、その罪を神であるキリストが命をかけてすべて赦してくれ、永遠のいのちまで与えてくれた。だから神様に感謝して、神様を第一にした生き方をしましょう、っていうのがキリスト教信仰の根本です(大分簡潔に書きすぎましたが)。

 

僕には「赦し」がありません

で、問題なのは、自分が教会通っていなかったり、聖書から離れているせいで「自分が神という絶対者から赦されている」という実感がないことなんですね。さんざん「俺は悪い奴だ、とんでもないことをしてしまった」と自分で自分を裁いて、肝心な赦しを実感できないという最悪の状態になってしまっているわけです。

 

聖書にはこんなことが書いてあります。

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(第一ヨハネ1:9)

 この御ことばを心の底から信じられればどんなに心強いでしょうか。人間というのは、自分が赦されているという実感というか確信を持つことで、他人に寛容になったり、自分の罪を素直に認めて、他人への償いも真摯にできるようになるものです。

「自分は赦されていない」という実感でいる限りは、半永久的にに自分の罪の中でもがき苦しみ、他人のことなんて考えられなくなる負のスパイラルに入ってしまいます。

僕がこのブログで自分のことばかり書いているのも、自分は「赦されていない」ということをあまりに強く持ちすぎているのだからだと思います。

 

罪の葛藤から抜け出せないと本当の償いに向かえない

「被害者やその関係者からは赦されていないけど、絶対者である神からは赦されている」きっと、こういう実感を持てれば、被害者に対する償いの気持ちを持つ余裕のようなものも持てるのだと思います。

そういう観点で考えると、神による赦しの実感を持つということは非常に大切なことのような気がします。ドラマやら映画やらで拘置所や刑務所で受刑者が聖書を読んでいるシーンなんかが使われたりしますが、「神様というとんでもなく尊い存在が自分を赦してくれてる」ということは誇張抜きで犯罪加害者の救いに繋がると思っています。

 

 

仕事は病気休職中です

会社休んでます

f:id:hatakegori:20160628141605j:plain

自分でも自覚しているのですが、逮捕されたことや妻と別居することになったショックは相当大きく、異常な精神状態にあるということで、医師の診断に基づき、現在会社を病気休職しています。自業自得とは言え、これだけのストレッサーがある中で平然としてられる人は殆どいないと思います。

会社側としては大分温情的な措置だと思います。この状態でも給料が8割出るのは大変ありがたいことです。ブログ界隈では大企業ディスる記事が人気ですが、こういうところに大企業の懐の深さや、安定した労使関係の風土がある会社の強さというものを感じたりします。留置所から出てすぐ働かなくてはならない人に比べれば大分恵まれた環境にあるとは思っています。

もっとも、今まで労働組合の役員としての手当てなんかもあったのですが、そちらの方に関しては辞任することとしたので、その手当てがなくなった分、生活は大分苦しくなっているのですが……。

 

父親と二人暮らしです

勾留中、面会に来た時に自分があまりに不安定な精神状態だったこともあり、父親が実家を離れて自分と同居しています。この歳(33歳)になって父親と二人暮らしというのは何かこそばゆいものがありますが、自分の味方であるということを確信できる人と話すことができる環境にあるのはありがたいものです。

大体、「こんな経験をしたからこそやれることがある、自分を見捨てずにフォローしてくれる人たちのためにも頑張ろう」といったポジティブな思いと、「妻ともどうなるかわからない、逮捕歴のある人間にできることなんかない、こんな人生投げ出した方がマシだ」といったネガティブな思いの間を行ったり来たりしてるのですが、1人でいるとネガティブな方に引っ張られがちです。そんな時にポジティブな方に引っ張ってくれる人がいるのは本当に助かります。

 

 

何して過ごしてるの?

主にやっていることは、社労士試験の勉強ジムでのウェイトトレーニングブログの執筆です。他には掃除や洗濯など、家事にゆっくり時間を使ったり。料理は元々あまりできる方でないので、料理に関しては同居してくれている父親に任せてます。

朝6:00に起きて、7:00に街中の喫茶店に行って3時間くらい勉強した後、喫茶店近くのゴールドジムでウェイトトレーニングガチ勢やって、昼食(ワンコインで抑えてます)とって、帰宅して、またちょっと勉強してブログ書いて、夜は父親と夕食がてら酒飲んだり・・・なんて生活を送っています。日曜日には、趣味のアームレスリングの練習の方にも行くような形で考えています。

まずは療養と精神状態の回復が休職の目的なので、無理しない程度にやってはいますが、社労士の試験は難関なこともあって、結構きつかったりしますし、ウェイトトレーニングの方も全盛期の頃と比べると、ブランクもあったせいか筋肉を総動員できなかったり、いまいち集中できなかったり、精神的不調の影響があちこちで出ていることは否めません。

一応医者からの休職の診断書は2カ月なので、2カ月経過する前には何とか復職できればと思っていますが、これも無理のない範囲でやっていきたいと思います。

 

自業自得での精神的不調に対して休職が認められることはなかなかないことだと思っています。この機会にしっかり療養しつつ、自己研鑽にも励み将来的に会社や社会の役に立てればと思っています。

 

天気の悪い日はどうもメンタルが暗くなりがちですね。