生きる、逮捕されても

まさかの「逮捕」で人生終わりかけましたが、僕はこれからも生きていかなければなりません。逮捕された経験ならではの思いを発信していきます。

「警察の世話にだけはなるな」という僕らを死ぬまで苦しめる最悪な道徳律

あなたは「警察の世話になるな」ということを言われて育ちませんでしたか?

言われたことない人は幸せな人だと思います。

日本には、「警察の世話にだけはなるな」といったことをやたら子どもに言って聞かせる親が多いと感じます。

 

断言しますが、彼・彼女らは

「法律を大事にしなさい」という遵法意識からでも

「警察に入ったら苦労するから」という優しさから

そういうことを教えているのではありません。

 

本音はこれが全てです。

「身内に恥をかかせるな」

 

そういうことです。

特に「家」という文化が強かった一世代、二世代前の人ほど「警察の世話になる=恥」という意識を強く持っているようですが、一度逮捕されてしまった僕の立場からすれば、「『警察の世話になる=恥』という道徳律が世間でまかり通っているから、逮捕経験者や元受刑者が本当に更生して、まっとうな人生を歩むことができない」のだと感じます。

 

言うまでもないことですが、犯してしまったことに対する反省は必要です。迷惑をかけた人がいるなら罪を償わなければなりません。でも、一度罪を犯した人が絶対にすべきことがもう一つあります。「更生して、同じような過ちを犯さない」ということです。

 

自分が大切に思われていることを実感して人は初めて更生に向える

僕が今一番感じているのは、罪を犯した人間が更生するには「あなたのことを心配しているよ」「あなたのことが大切なんだよ」ということを本気で思ってくれる人の存在が必要だということです。そういう人たちの優しさに触れて、初めて前を向いて人生を歩む力が湧いてくるわけです。今日も産業医や保健師さん、上司との面談の中でさんざん感じてきました。

 

一方で、先に書いた「警察の世話になるな」という道徳律。これは誰も幸せにしません。むしろ、更生を本気で考えている人の妨げにしかなりません。このような道徳律が世間でまかり通っている限り、一度警察の人になった人や元受刑者は「自分は身内に恥をかかせた、だから、一生陽の当たるところを歩いてはいけない」という必要以上に自罰的な意識で生きていかなくてはならなくなります。これでは更生どころじゃありません。

 

日本人は他人を裁くこと、罰することが大好きです。それも、司法に関わる人間でもない大衆が、です。この国に生きる人が、「罪を犯した人が更生するには自分たちに何ができるか」ということを主体的に考える人であってほしいと思います。