生きる、逮捕されても

まさかの「逮捕」で人生終わりかけましたが、僕はこれからも生きていかなければなりません。逮捕された経験ならではの思いを発信していきます。

逮捕された僕が犯罪報道のあり方について思うこと

僕が実際に逮捕されてみて疑問に思ったことがあります。

            f:id:hatakegori:20160628180058p:plain

世の中、「~が逮捕された」というニュースは嫌になるくらい目にするけど、「~は釈放された」「~は不起訴になった」「~は処分保留になった」というニュースはあまり見ないな、ということです。

 

逮捕されてから裁判に至るまでののプロセスについては、過去記事で一度扱っているので省略しますが、

hatakegori.hatenablog.com

 日本の犯罪報道というのはどうも「逮捕」だけにフォーカスを当てすぎているように感じます。不起訴や処分保留で釈放になるケースが相当多いのはもちろん、逮捕後に勾留つかずに釈放になるケースだってあります。勾留の日数だって10日つくケースと20日つくケースでは全然違います。

 

僕自身、「~が逮捕されたことは知っているけど、起訴されたかどうかもわからないし、裁判が行われたとして、裁判の結果はわからない」というような事件がいっぱいあります。芸能人の覚せい剤事件なんかは公判までの流れを詳細に扱ったりしますが、地域で起こった小さな事件なんかの報道は「~逮捕!」で終わってしまっている事が殆どです。僕の起こした事件も「~逮捕!」で終わって、不起訴になったり、釈放されたことなんかはまったく触れられていません。別に悪いことしたので、悪いことしたことを報道されるのはいいのですが、何か釈然としない部分があります。

 

「逮捕!」という言葉はセンセーショナルです。それが有名人や大企業の社員や公務員だったらなおのこと大衆はそこに飛びつくことでしょう。しかし、大事なのは先述の通り、逮捕された後どうなったか、ということなのです。

捜査や刑事の取り調べは一般の人の想像を遥かに超えて細かいところまで行いますし、検察側や裁判官も様々なことを考えてその人の処分を決めます。事件の本質や被疑者の人格・内面といったものはそういった逮捕されてからの司法手続きの過程で見えてくることが多いのですが、そこをまったくないもののように扱う日本の犯罪報道のあり方には疑問を覚えます。逮捕されてからの先には重い重い、報道するに値するドラマがあるはずなのにそれを報道しないのは勿体ないとも言えます。

 

センセーショナルなことだけ扱って、本質には触れない、このような犯罪報道が続く限り、「犯罪を減らすにはどうすればよいか」ということを大衆が本気で考えることはないでしょう。