生きる、逮捕されても

まさかの「逮捕」で人生終わりかけましたが、僕はこれからも生きていかなければなりません。逮捕された経験ならではの思いを発信していきます。

今の「知らない」「できない」「分からない」は、近い将来「教える側」に回った時の強みになります。

僕は大学時代にアルバイトで家庭教師をやっていました。

合計5人の子どもたちの勉強を見てきましたが、良い家庭教師だったかと言われると、僕はそうでなかったと思います。というのも、比較的勉強のできる子に+αを上乗せするようなことはそんなに難しくなかったのですが、成績が悪い子に成績アップのノウハウを提示することが全然できなかったからです。

嫌味な言い方になってしまいますが、その理由は端的に言えば、「分からない子の何が分からないかが分からなかったから」だと受け止めています。僕は子どもの頃から比較的勉強ができた方なので、「分からない、授業についていけない」という状態を経験したことがありませんでした。当然、成績が悪い状態から成績アップしたという経験も皆無です。僕の中には、成績向上のノウハウがなかったのです(成績を高い位置で維持するノウハウなら持っていたかもしれませんが)。

 

この家庭教師の例を出せば、最初っから「できた」ことがマイナスになっていることがよくわかります。一方、僕は逆の例、つまり「最初はできなかった」も経験しています。

 

それが、趣味のアームレスリングです。

上を見ればキリがないのですが、一応それなりに競技を続けていますので、今は一般人に腕相撲で負けることはまずありませんし、大会でも入賞を果たすくらいの地力はあります。ですが、始めた頃は筋力もない、地力もない、技術もない、フォームも悪い・・・といった、まさに四重苦状態で、目も当てられない状態だったことを今もよく覚えています。

僕は、周りのアームレスリング仲間から、「教えるのが上手い」と言われることが多く、道場に初めての人が来た際に、フォームを一から説明する役割に回ることが多いです。この時、僕は「素人の人がどういうところで躓くか」「何で混乱しているか」ということが手に取るようにわかります。何故なら、自分もまったく同じ状態を経験してきているからです。

 

これらのことから学べるのは、今、自分の中にある「知らない」「できない」「分からない」は、近い将来教える側に回った時の強みになる、ということです。むしろ、最初っからできてしまっている人は、僕の家庭教師の例にあるように、教えることに向かないケースが多いのではないか、と思います。

 

何でも最初っからある程度上手くできるのに越したことはないのですが、捉えようによっては、最初に躓いてしまった、というのは将来的に武器になることもあるのです。今、僕はこのブログ運営においても、移住という生き方においても、経験ゼロ、先がまったく見えないという状態からスタートしています。ですが、将来的にはこのゼロからスタートしたことが、コンテンツを発信する上での強みになるとも確信しています。

 

自分の、「知らない」「できない」「わからない」を過小評価せずに、大事にしていきたいものです。