生きる、逮捕されても

まさかの「逮捕」で人生終わりかけましたが、僕はこれからも生きていかなければなりません。逮捕された経験ならではの思いを発信していきます。

成人の日に思う。「社会は厳しい」という嘘、大袈裟、紛らわしいキャッチコピー ~本当に厳しいのは「世間様」

今日は成人の日なので、ちなんだエントリーを。

「嘘、大袈裟、紛らわしい」の元ネタ、最近の若い人が分かるかは心配ですが(笑)

 

荒れる成人式、はしゃぐ新成人の話はどうでもいいです。

だって、そういう層というのはどこの世代を切り取っても一定数はいるわけで、その世代が特別なわけではないですから。むしろ、そういう変わった輩を叩いていないと、自分が常識の側に立っていることを確認できない大人の方がみっともないと僕は感じます。

わかりやすいおかしい人というのは、自分が普通の人間であることを確認するにはもってこいのネタなわけです。騒ぐ新成人を擁護するわけではありませんが、それをネタに大人である我々が騒ぎするのもどうかと思うわけで(「それをネタに記事を書くお前もどうかと思うぞ」というツッコミは歓迎です)。

そして、思うのはこれに準じて社会の厳しさを強調したがる人の多さ。今日はそれについて書きたいと思います。

 

実は、「社会」というものは言うほど厳しくない

「社会は厳しい」という論調やその価値観に基づく発言、現実世界でもネットでも非常に多いと感じます。確かに、成人の仲間入りをして、もしくは学生というカテゴリーから外れることで、親の庇護から外れたり、会社勤めや企業で経済的に自立するなどで自己責任の側面が強くなる場面もあり、そういう意味で「社会が厳しい」というのはその通りだと思います

ただ、僕個人の感覚を言わせてもらうと、いわゆる「社会人」というものになって色々な法律や制度を知って、却って社会の優しさを知るor感じる場面が多かった、ということが言えます。箇条書きみたいになりますが、社会保険、失業保険、生活保護、その他の行政サービス、労働基準法、そして会社の労働協約など、法や制度の上では決してこの社会は厳しくないどころか、セーフティネットが結構なレベルで整えられているんですよね。労働者や生活者はちゃんと保護されているんです。あくまでも制度上は、ですけど。

 

厳しい社会というものは、制度に関する無理解と「社会は厳しくなくてはならない」という妄言を唱える人によって形成されている。

でも、そんな制度は絵に描いた餅で、実際に制度・権利を行使するのは難しい、という声、たくさんあると思います。年次有給休暇も完全取得できる環境にない、契約社員だから育児休業取れない、生活保護ホントは受給条件にあるけど相談にすらいけない・・・など、そういった声は日本全国古今東西、あちこちに溢れています。

じゃあどうしてそういった制度を使えないのか、というと、一つは労働者や生活者側の無知で、単純に制度を知らないからそもそも制度や権利を行使できないという理由(これについては立法や行政、それに関わる団体等が啓発するしかないです)。もう一つ、これが大きいのですが、権利を行使することを許さない人達がいる、ということです。要は、「俺は苦労したんだ、お前も苦労しろ、お前だけが楽するのは許さない」という人が蔓延しているからなかなか皆本来持っている権利を行使できないんです。そういう人達は決まってこう言います「社会は厳しいんだ」と。いやいや、社会はお前のせいで厳しくなってるんだよ、僕はこう言ってやりたいです。

 

本当に厳しいのは「世間様」

「社会は厳しい」を強調する人達の多くは、僕に言わせればただの甘えなんです。彼らが社会の厳しさを強調する背景には、「自分が生きてきた、耐えてきた社会のレベルを下げて欲しくない、俺は厳しいところをクリアして生きてきたんだよ」という承認欲求に近い甘えがあると思っています。ゲームに例えてみればわかりやすいと思うのですが、自分がハードモードクリアしたのに、それを素人にイージーモードのクリアだ!なんて言われたら嫌ですよね。そういう心理です。だから、彼らは社会というもののハードルを維持しようと躍起になって、偉そうに「社会は厳しいんだ」と若者に説教しだすわけです。新成人を叩いている人、自分の胸に手を当ててみてください。同じようなメンタリティ持っていませんか?

で、そういう人って日本には結構多いんですよね。歳をいった人なんかがそうなりやすいのですが。そして、そういう人が実社会で管理者や経営者、団体の代表などの要職についていることも多く(場末の居酒屋なんかにもいっぱいいるんですが)、世論というか世間というものは社会の厳しさを強調するように傾いていく。結局、厳しいのは「社会」じゃなくて「世間様」なんです。

 

社会が厳しくある必要なんてどこにもない、世間様はとっと社会を甘いもの、優しいものにするようにシフトすべき

社会はこれ以上厳しくならなくていいです。例えば、労働者が当たり前のように権利を行使出来たり、元受刑者が普通に就職できたり、そういう世の中になればいいな、と思っています。でも、それを実現するのに法律の整備は特段必要ない、というのがミソなんです。法律や制度は結構なレベルで整っています。単純に「社会は厳しくあるべき」と思っている人達が黙っていれば、僕らの生きている社会はもう少し生きやすくなる、素直にそう思います。ということで、社会の厳しさを強調して新成人を叩く方々、少し黙っててくれませんか?

 

では、また明日。